VIRGIN TRIUMPH | 6-11 英国病に掛かっていた『AJS 7R』 立花 啓毅さんのコラム

6-11 英国病に掛かっていた『AJS 7R』

  • 掲載日/2017年09月08日
  • 写真・文/立花 啓毅(商品開発コンサルタント)

今では考えられないことだが、1950年代の英国車はとてつもない性能で世界グランプリを制覇し続けていた。いわゆるMotoGPの世界で、ノートンマンクスやベロセットKTT、AJS 7R、マチレスG50などの英国勢が常に上位を独占していたのだ。

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またこれらのバイクは、高性能というだけでなく、佇まいがじつに美しい。美しいというよりは凛々しく、威厳さえも漂っている。そのため世界中のバイクファンからは憧れの存在で、60年以上経った今でも色褪せることはない。そのため当時の図面を基にしたレプリカが多く作られている。

レプリカというと、4輪ではグラスファイバーのボディを被せたニセモノ的なイメージが強いが、それとは全く違う。何しろ認定も受けていて当時のマンクスと一緒にレースに出場できる。

これらのレプリカは最新の精密機械と材料で作られているため、性能も高く壊れる心配も少ない。嬉しいのは豊富なスペシャルパーツが揃っていることだ。

因みに価格は、ポンドが弱いこの時期でも450万円もする。さらに日本までの送料や消費税を含めると楽に500万円を超えてしまう。とはいっても本モノとほぼ同価格だ。ではどちらを選ぶかというと、私ならレースが前提だから、躊躇なくレプリカにするだろう。

クルマなら高額でも家族が乗れるなどのメリットもあるが、ナンバーも付かない道楽に500万円を出せる方はそう多くはないと思う。

レプリカはレースが主体のため500ccマンクスとマチレスG50が多く、350ccのAJS 7Rは少ない。ここではレプリカでない本物の7Rについてお話しよう。

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AJSはジョセップ・スティーヴンスと4人の息子たちによって1897年に誕生した、英国でも古参のメーカーだ。この時代はレースの結果が即販売に繋がったため、各社は果敢にレースに挑戦した。

なかでもAJSは群を抜き、1921年のマン島では350ccクラスの1位から5位を独占、続く500ccクラスにも350ccで出場し、見事優勝を飾った。このレーシングマシンが7Rの原型となり、AJS神話が始まった。

7Rの「7」は350を示し、当初からチェーン駆動のSOHCだった。面白いことに、この時代はインレットよりエグゾーストバルブの方が大きく、吸気より排気ガスを出すことを積極的に行なっていた。

1954年の7Rはトリプルロッカーと呼ぶ3バルブだが、エグゾーストが2本で、インレットが1本。今とは逆の考え方だったのは、高温のガスを早く出してヘッドの温度を下げようと考えたからだ。今は冷たい混合気を沢山入れて、燃焼温度は下げた方がパワーが出る。

またAJSは、純銀製のシリンダーヘッドを作ったことがある。熱伝導の良い銀で冷却性を高めるためだが、さすがにコスト的に厳しく試作だけで終わってしまった。

競合車のベロセットはブロンズヘッドという銅製のヘッドを起し、実際に市販していた。磨くと金色に輝き、なかなか格好いい。しかしその重さは半端ではなかった。

AJS設計者のフィリップ・ウォーカーは、ノートンなどが複雑なDOHCに移行していくなか、パワーだけでなく軽量、コスト、メインテナンス、さらに燃費の良さを求め、チェーン駆動のSOHC 2バルブを変えることはなかった。

7Rの最終型は42馬力の安定した性能を発揮し、また他社より14kgも軽かったためマシンの完成度が高かった。事実、マンクスは複雑な構造のDOHCゆえ本来の性能が発揮できず、今の時代でも悩む人が多い。

クラブマンレースなら単気筒の7Rでも充分だが、ワークスとなると相手はイタリアのMVアグスタやジレラのDOHC4気筒が登場し始めた。

AJSは威信をかけ2気筒の7Rポーキュパインを1949年に送り出し、かろうじてチャンピオンに収まったものの、その後の戦績は思わしくなく、1954年のスウェーデンGPでの優勝が最後となった。この時のライダーがロッド・コールマンである。

彼は今や70歳を過ぎたが、わざわざオーストラリアから我々の「タイムトンネル」に顔を出してくれていた。そこではA級ライダーがハングオンで膝をすりながら走るのを尻目に、70過ぎの爺さんがリーンウィズでトップを独走してしまうのだ。それほどに世界王者は速い。しかもバイクもツナギも人からの借り物なのだから驚きである。

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1960年代になると英国病はさらに悪化し、2輪産業は完全に日本に取って代わった。病の原因は栄華を誇った帝国の奢り(おごり)と怠惰(たいだ)である。その後、サッチャー首相は強力なカンフル剤を打ったが、時すでに遅くMC産業の息の根が止まった後だった。

それでも世界中のクラシックバイクファンの多くが英国車を好むのは、栄光への残像だけでなく、そこには古い設備で頑固に作られた故に生まれた人間臭さが漂っているからだ。

英国車は世界GPを制覇している全盛期にも関わらず、一方で英国病に蝕まれつつあった。そのため1960年代に入るとドイツ、イタリアそして日本のバイクが英国車を蹴落とすようになった。じつに皮肉な話で、第2次世界大戦で敗れた3カ国が、レースでは勝戦国のイギリスに勝ったのだ……。

『AJS 7R(最終型)』
  • エンジン=空冷単気筒SOHC 2バルブ
  • 排気量=349cc
  • 内径×行程=75.5×78mm
  • 圧縮比=12.0
  • 出力=42ps/7,800rpm
  • 変速機=4速
  • サスペンション=F:F:テレスコピック/R:スウィングアーム

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