6-12 カミナリ族の『AJS 16C』
- 掲載日/2017年10月13日
- 写真・文/立花 啓毅(商品開発コンサルタント)
前章のAJS-7Rは生粋のレーシングマシンで、当時、たった1台のみが日本に輸入された。それは宇都宮で行われたクラブマンレースに出場するためだった。
今から57年も前の話だが、実はこのマシンそのものを非常に良い状態で私の友人が保存している。実車を拝見すると、まさに由緒正しき7Rでオーラを放っていた。
当時、7Rは雑誌の記事でしか知ることが出来ず、まさに雲上の存在だった。そのサラブレットの片鱗を少しでも知りたいと思い、まだ学生の分際だったが、AJSモデル16Cをなんとか手に入れることができた。私にとって初の英国車だったこともあり、このAJSによって自分自身が成長したように思う。それほど奥が深いバイクだ。
とは言っても、このAJSにはメガホンが付いていて、スロットルを開けても閉じてもけたたましい音が鳴り響く。これで深夜の街道をぶっ飛ばすというバカなことをしていた。俗に言う「カミナリ族」だ。カミナリ族とは、排気音をバリバリ響かせていたからそう呼ばれたのだが、実はバイク好きなロッカーたちだった。鋲を打った革ジャンにジーンズを履き、髪はポマードでリーゼントを決めていた。バイクの方は、誰もがサイレンサーを取り外し、ストレートのエキパイのみだ。
当時スピードが出せる場所は、吉田茂首相が自宅から国会に通うために作った横浜新道いわゆるワンマン道路だった。そこは週末の夜ともなるとサーキットと化し、トライアンフ・ボンネビルを筆頭に、BSAゴールドスターなどそうそうたるバイクが集まった。
誰、言うこともいなく、保土ヶ谷交差点の信号に揃い、信号が青に変わった瞬間、最初に飛び出すのが、ピックアップの良いトライアンフ勢だ。高速コーナーになると単気筒のゴールドスターがそれを交わすというバトルが続く。AJSは350ccクラスでは速いが、無制限の街道レースではなかなか厳しい。しかし街道レースは、度胸が勝敗を左右するから面白く、まさに伝説となった「エース・カフェ」の日本版だった。
今、思えばワナワナする車体にルーカスのロウソクのような6Vのライトで、滅多やたらにぶっ飛ばすのだから、壁に突き刺さらずに済んだ方が不思議なぐらいだ。
この英国車軍団に分け入るように入って来たのが、メグロのスタミナK1だ。テストライダーをしていた横内一馬が試作車に臨番を括り付けの登場である。勿論サイレンサーなどの余計なものはない。
スタミナK1はBSAシューティングスターを範としたもので、500ccのバーティカルツインだ。出力はBSAより1馬力高い33.0hp/6,000rpmだった。ところがこの試作車は、この数値よりかなり速く、ツインのビートを響かせていた。
国道を我がもの顔で走り、街道レースを繰り広げていたのは、白バイの性能が可愛そうなことに20馬力のメグロ・Z7と、22馬力の陸王RQだったからだ。
今も時々、この松林のある国道を走ることがあるが、俺はなんてバカなことをして世間に迷惑を掛けていたかと反省しきりとなる。
1961年2月に鈴鹿サーキットが開業すると、我々カミナリ族の足は、自然に箱根を越え、東海道をひたすら鈴鹿に向かうようになった。カミナリ族の多くはバイクからMGやトライアンフなどのスポーツカーに転向していった。
鈴鹿までの一般道を徹夜で走り、早朝サーキットに着くと、即タイムアタックを開始。当時、鈴鹿で3分10秒を切るとホンダがレーシングドライバーとして採用するからだった。私はSP310のフェアレディで練習した後、式場さんのS600をお借りして3分07秒を記録した。
話を元に戻そう。AJSはマチレスともに英国でも古参のメーカーで、創業は1897年と1899年である。ところが31年にAJSが経営難に陥り、マチレスが吸収し社名をAMC(アソシエイテッドモーターサイクル)社とした。以降、AJSとマチレスは双子車を作るようになった。因みにAJSは創業者のAlbert John Stevensの頭文字である。
私の1954年型モデル16のエンジンは、350ccで戦前からマチレスG3L(次回ご紹介)など非常に多くの車種に使われていた。それは93mmのロングストロークが実にトルクフルで滑らかだったからだ。ちなみに500ccのモデル18とはボアを変えて(82.5と69mm)対応し、多くを共用している。
AJSのエンジンは、雑音がなく静かで滑らか、しかも非常に丈夫で、当時の国産バイクとは比べものにならなかった。それは良質な材料と機械精度の高さから来たものと思う。また日本メーカーは、英車そっくりさんを作っていたこともあり、AJSから作り手の理念のようなものを感じた。
これ以外にもこのAJSによって、単気筒を速く走らせるコツを会得した。単気筒は重いフライホイールを上手く使うのがコツで、スタート時は5,000回転ぐらいまで回転を上げた状態でクラッチを繋ぐ。するとエンジンのトルクにフライホイールマスが加わり、ダートの路面を10メーター以上もかっぱいて猛ダッシュする。いまだにオーバルトラックのレースで単気筒が速いのは、トラクションが掛かりコントロール性がよいからだ。
かっては日本車の先生だった英国車だが、ご存じのように60年代に入ると、日本車が台頭するようになり英国のMC産業は衰退。この兄弟車も1969年を最後の年とした。
- エンジン=空冷単気筒OHV
- 排気量=347cc
- 内径×行程=69×93mm
- 圧縮比=6.5
- 変速機=4速
- タイヤ=F:F:3.25-19 R:3.50-19
- サスペンション=F:テレスコピック / R:スイングアーム
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