1880-1940年代 Vol.01
- 掲載日/2015年01月29日
- 協力/トライアンフ モーターサイクルズ ジャパン 文/植田 一礼
トライアンフの誕生
自転車メーカーからモーターサイクルメーカーへ
ユダヤ系ドイツ人で20歳のジークフリード・ベットマンが1883年にイギリスへ渡り、1885年に『ジークフリード・ベットマン&カンパニー・インポート・エクスポート・エージェンシー』という貿易商社を創立したのが、トライアンフ・モーターサイクルの始まりである。ベットマンは高性能で知られていたドイツ製ミシンをヨーロッパ各国で販売し、成功する。
ジークフリード・ベットマン
当時は富裕層の遊び道具であった自転車が、庶民の足として普及し始めていた。このことに注目したベットマンは、同じくイギリスのバーミンガムにあったメーカーが生産していた自転車を仕入れ、ヨーロッパ各地への輸出を始める。当初の名は『ベットマンサイクル』だったが、後に“勝利”を意味する“Triumph(トライアンフ)”とし、自転車はネーミング通り各国でヒットした。ベットマンは1886年に社名を『The Triumph Cycle Company(ザ・トライアンフ・サイクル・カンパニー)』に変更している。
モーリス・ヨハン・シュルツ
ベットマンが、ドイツ人のモーリス・ヨハン・シュルツを共同出資者として社に招いたのは1887年のこと。シュルツは自転車産業のエキスパートで、優れたエンジニアでもあった。彼の才能を活かし、ベットマンは商品を仕入れて販売するだけの会社から、自ら製品を生産して販売するメーカーとなるべく舵を切る。産業革命で栄えたイギリス中部にあるコベントリーに製造工場を建設し、1889年から世界の市場へ向けて自社製の自転車を送り出し、大成功をおさめた。同年、ロンドンにあった本社もコベントリーへ移転した。
ベルギーのミネルバ製エンジンを搭載した
トライアンフ第1号車『ナンバー1』
1890年代になると、小型のガソリンエンジンを自転車に取り付けたようなモーターサイクルが作られるようになり、新たなる交通手段として注目されていた。1900年代に入ってからは、ヨーロッパやアメリカでいくつかのモーターサイクルメーカーが、モーターサイクルの生産と販売を開始するようになっていた。ベットマンとシュルツも、自転車メーカーとして培ってきた技術と経験を活かし、1902年に最初のモーターサイクルを作り上げた。
ナンバー1(1902)
第1号車の『ナンバー1』は、自社製のシャシーにベルギーのミネルバ製エンジンを使用していた。エンジンだけがベルギー製だったのは、当時のイギリス製よりもいろいろな面で優れていたからだ。翌年にはナンバー1で見つかった不具合を直しつつ、イギリスのJAP(JAプレスウィッチ)製のエンジンや、ベルギーのファニール製エンジンを搭載したモーターサイクルも生産している。トライアンフ製のモーターサイクルは徐々に品質を向上させ、成功していた自転車には遠く及ばないものの、少しずつ売り上げを伸ばし、その名が浸透していった。
1902年の『ナンバー1』と1960年の『ボンネビル』
チャールズ・ハザウェイを招き
モーターサイクルのすべてを自社生産に
しかしながら自転車の時と同じで、やはりエンジンを含めすべてを自社生産しなければ、高い利益を得ることはできなかった。トライアンフは優れたエンジニアであったチャールズ・ハザウェイを先頭に研究開発を重ね、ついに1905年、オリジナルのエンジン開発に成功する。これでモーターサイクルすべての製造を、コベントリーの自社工場で行えるようになった。
3hp(1906)
1905年のモデル『3hp』は、その名の通り3馬力を発生させる自社製エンジンを使用していた。そのエンジンは単気筒のサイドバルブ形式であった。 このモデルは同年に250台を生産し、評判も上々で大きな利益を上げることになった。
トライアンフはバイシクルとモーターサイクルのメーカーとしてフル稼働するため、1906年に自社工場拡大のためプライオリーストリートへ移転。社名を『トライアンフ・エンジニアリング・カンパニー』と改めた。
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