6-21 李朝の渋さ漂うベロセット『KTT・Mk8』
- 掲載日/2018年09月07日
- 写真・文/立花 啓毅(商品開発コンサルタント)
ベロセットというと、誰もが生粋の英国車で、ジョンブル魂むき出しのバイクだと思っている。ところがベロセットはトライアンフがそうであったように、ドイツ人によって生み出されたメーカーだった。
このベロセットの中でも、今回ご紹介する「KTT」はサラブレット中のサラブレットで、佇まいは凛とし、近寄りがたいほどの奥深さがある。それはどこか李朝(朝鮮)の皿茶碗に通ずる美しさだ。
李朝の焼き物には張り詰めた緊張感と人間的な温もりが共存し、静かでかつ凛々しい。じっくり眺めると作り手の「気」すら感じる。当時の陶工は読み書きができなくても、凛々しい生き方をしていたに違いない。おそらくKTTの設計者、ジョン・グッドマンも同様であったのであろう。
一方、昨今は陶芸教室が人気であるように、焼き物は誰でも作ることができる。しかしわずかな面の張りだけで、可愛く見えたり、薄っぺらに見えたり、さらにはだらしなく見えたりもする。非常に残念だが、私には最近の日本バイクのデザインが、この陶芸教室の皿茶碗のように見えてならない。
KTTとはKamshaft Tourist Trophyの略称で、カムシャフトをヘッドに置いたことを示し、マン島TTを制覇するために作られたレーシングマシンだ。まだサイドバルブが全盛だった1924年に、ダイレクトにバルブを駆動するOHC(ロッカーアーム型)を開発。クランクシャフトから伸びた垂直のシャフトでカムを駆動した。
KTTシリーズはMk-ⅠからⅧまであるが、中でも最も魅力的なのが最終型のMk-Ⅷだ。Mk-Ⅷは、1938年のマン島TTレースでファクトリーチームが大成功を収め、その翌年にレーシングマシンとして市販された。
この時代にリッター当り100馬力を発揮し、348ccで34馬力。最高速度は185km/hにも達した。長丁場のマン島で常にトップを独占できたのは、性能だけでなく信頼性の高さにも秀でていたからだ。そのため10年以上もトップの座に君臨し続け、1949、50年には世界選手権までをも制した。因みに1950年にはDOHCが搭載されフレディ・フリスが乗った。
KTTは肉厚のドでかいヘッドといい、マグネシュウム合金のクランクケースといい、分解すると、無骨だが精度が高く緻密な設計がなされていることがわかる。そこには兵器に通ずる美しさがある。
ベロセット社は当初から技術的に秀でていて、高性能なDOHCエンジンやスーパーチャージャーを開発した。またリアのスイングアーム方式も発明したメーカーでもあり、このMkⅧから採用された。
ベロセットがいまだに世界中のコレクターから高い評価を得ているのは、妥協を許さぬ「技術屋魂」がマシンから伝わってくるからだ。それはアストン・マーティンがかつてルマンを目標に活躍し、その名声が今に繋がっているのとどこか似ている。
袖ヶ浦で行われているサイドウェイ・トロフィーの出場者にもベロ・マニアが多く、前回のレースでは十数台ものベロがエントリーしていた。今やKTTは高嶺の花で、価格的にもおいそれと手の出せるものではないが、やはり憧れの存在なのだ。
ところで創始者はジョン・グッドマンという名前で知られているが、元の名はドイツ読みのヨハネス・グッゲマンという。彼は1876年、19歳の時に英国に渡った。まだクルマやバイクが誕生する前の時代で自転車製造を開始。その後、ふたりの息子と共に「ニュー・ベローチェ・モータース」を立ち上げバイク製造を開始。1905年のことだ。彼らは当初からマン島TTレースに勝つことを目標にエンジンを開発した。
そして1926年、69歳にして初めてTTでの優勝を遂げたのだ。TTは1周60kmのコースを給油しながら何周も回る過酷なレース。当時の技術力では長丁場を走り切れず、脱落するチームが続出するなか、ベローチェは高性能でかつ信頼性の高さを誇った。その後、車名をベロセットに改名しても、TTへの挑戦は続き、その頂点に君臨し続けた。
この高性能でかつ信頼性の高さは、全てのベロセットに共通し、私がレースに使っているスラクストンもド・ノ―マルながらBSAのDBD34(ゴールドスター)より速く、しかもノーメンテでレースに耐えている。因みにエンジン性能はマンクスよりやや劣るが安定した性能を発揮。しかし問題もあり、フレームが自転車のような構造のためあまりにプアーなことだ。
ところで世界を制した英国のモーターサイクル・メーカーは、トライアンフやベロセットを含め、なんと685社もあり、日本を始め世界中に大きな影響を及ぼした。戦後の日本で高性能を誇ったモナークは、実はベロセットを手本にしたもので、ベロを買えない貧乏学生の私にはピッタリのバイクだった。
この685社もあった英国のメーカーは、70年代に台頭した高性能、高品質、低価格の日本車にはついていけず、ことごとく息の根を止めてしまった。ベロセット社も1905年に生まれ、数々の名作を残したが、残念なことに他のメーカーと同様、経営危機に陥り1971年に閉鎖した。李朝の焼き物のように「気」を発するモノが、世の中から消えてしまったのだ。
- エンジン=空冷SOHC
- 全長×全幅×全高=4,205×1,800×1,250mm
- 排気量=348cc
- 内径×行程=74×84mm
- 圧縮比=10.94
- 最大出力=34hp
- 最高速度=185km/h
- サスペンション=F:ガーターフォーク R:スイングアーム
- タイヤサイズ=F:21 R:19インチ
- 車重=145kg
- 【前の記事へ】
6-20 名車・アルピーヌA110が復活 - 【次の記事へ】
6-22 ベスト・オブ・トライアンフはトロフィー・TR5だ
関連する記事
-
立花啓毅さんのコラム
6-3 バウハウス的な『ベロセット LE MKⅢ』
-
立花啓毅さんのコラム
6-11 英国病に掛かっていた『AJS 7R』
-
立花啓毅さんのコラム
6-5 凛々しさ漂う『ベロセット・スラクストン』
-
立花啓毅さんのコラム
番外編-9 旅の相棒には「ストリート・ツイン」か「ストリート・スクランブラー」がいい
-
立花啓毅さんのコラム
6-22 ベスト・オブ・トライアンフはトロフィー・TR5だ
-
立花啓毅さんのコラム
番外編7 タイガー新車発表会 タイガーに鞭打ってノマド(遊牧民)になろう
-
立花啓毅さんのコラム
番外編 4 トライアンフのローンチ・パーティ
-
立花啓毅さんのコラム
6-6 ボロでも男を誘惑する『ジャガー・マークⅡ』