1-4 『ジャパン・ロッカーズ』
- 掲載日/2015年01月09日
- 文/立花 啓毅(商品開発コンサルタント)
写真提供/BevelGear co.,ltd
日本でも、英国とほぼ同時期の50年代にロッカーズの時代があった。完成間もない横浜バイパス(別名ワンマン道路。吉田首相が官邸に行かれるために作った道路)に英国製のモーターサイクルやメグロK-1の試作車が集まり、深夜に街道レースが行なわれていた。集まる人間も“スピード命”を掲げるにふさわしいメンツで、なかには現役のテストライダーもいた。私はAJSにメガフォンを付け、末席を沸かせていた。
保土ヶ谷の信号がスタートの合図で、横浜バイパスの料金所までを競うのだ。トライアンフのボンネビルが先行し、高速になるとゴールドスターがそれに追い付き、AJSはその後ろに付く。K-1もなかなか速く、のちに市販されたものとは大分違っていた。
6ボルトのルーカスランプはロウソクの光と変わらず、闇夜では全く先が見えない。ましてやか細い発電機だったため、スモールランプで走らざるを得ず、それで保土ヶ谷の真っ暗な松林の中を全開で駆け抜けるのだ。こうなると街道レースの結果は度胸で決まる。なかには停まっているトラックに突っ込み、命を落とした人もいた。なにしろトラックにハザードは無く、スモールも点けていないのだから。
まともにサイレンサーを付けたバイクは少なく、多くはストレートのエキゾーストパイプだけだ。私のAJSはメガフォンだったから、実にいい音を響かせていた。メガフォンからの排圧は相当なもので、箱根の帰りに小田原の商店街を我々が抜けると、両サイドのシャッターがガシャガシャと大音響をたてて鳴り響いていた。
車体は余計なものを取り払ったため、レーサーにナンバープレートを付けたようなものだった。私はさらにひどく、ポンコツ屋で拾ったナンバーを針金で腰にくくっていたのだから、今では全く考えられないことだ。
この“スピード命”の連中は、当然、マスコミから非難の対象になったわけで、我々に付けられた名前が『カミナリ族』だった。けたたましい爆音をまき散らせていたのだからピッタリの名前だが、さぞかし皆さんにご迷惑をおかけしたものと思う。
当時、ボンネビルは高嶺の花で、今で言うとジャガーを買うようなものだから、学生の私には無理な話だった。やっと手に入れた頃には街道レースは終わっていた。ましてや世界一流パーツで組み立てられたトライトンなどは話でしか知らず、アストンのバンキッシュのようなものだった。
我々の服装は、意図していたわけではなかったが、なぜか本家ロッカーズと一緒だった。鋲を打った黒い革ジャンにブルージーンズを履き、靴は半長靴と呼ぶ革ブーツだ。鼻ぺちゃの丸顔にはリーゼント・ヘアは似合わないが、それでもポマードを付けてキメ込んでいた。
貧乏学生ゆえ、ファスナーの壊れた革ジャンを針金でくくり、冬には新聞紙をその下に突っ込んで寒さを防いでいた。これはなかなか効果的で、結構暖かかったことを覚えている。この時代、本家のルイスレザーなんていう革ジャンは高嶺の花のさらに上で、眼中にもなかった。
1950?60年代というのは世界中がバラ色に輝き、日本でもスマイリー小原の演奏するプレスリーのロックンロールが日本中を席捲していた。アイビー・ルックが格好よく、男はVANの細いパンツで踝(くるぶし)を出し、女の子は左右に揺れるポニーテールにペチコートで丸くふくらんだスカート。それがジルバのステップでさらに広がり、日本中が華やいでいた。
週末にはダンスパーティが催され、“ハマジル”なんていう崩したジルバや、ダイヤモンド・ステップというマンボが流行っていた。今より金銭的には苦しかったはずだが、夢があり、同じ日本とは思えないほど華やいで元気だった。
クルマもアメ車が人気で、私もその時だけは、兄貴のグリーンメタリックと真っ白に塗り分けられた55年のシボレーのベルエアー・ワゴンを持ち出し、45円のガソリンを10リッターだけ入れてパーティ会場に向かった。
バイクいじりで真っ黒なロッカーズも、この時だけはアイビーに着替え、ベルエアーのベンチシートをワックスでツルツルに磨いてのお出かけである。広いベンチシートの遥か向こうに恥ずかしそうに座った女の子も、ツルツルのシートでは、コーナーで運転席まで滑べざるをえなかった。
そのベンチシートはボディカラーと同じ、白とグリーンの華やかなツートーンだった。材質は安っぽいビニールだが、人をハッピーにさせる力があった。カーラジオから流れる音楽はエルビス・プレスリーやブレンダ・リー、シュープリームス…など、ポップな曲が多かった。隣の女の子もポップなドレスにポップな化粧。運転する自分はいつの間にかアメリカン・ヒーローになっていた。クルマや音楽だけでなく、50年代から60年代は、時代そのものに、人をハッピーにする力があった。
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