6-5 凛々しさ漂う『ベロセット・スラクストン』
私は骨董にも興味があって、特に李朝時代(朝鮮)に作られた壷や皿が好きだ。そこには張り詰めた緊張感と、人間的な温もりが併存している。だから佇まいが静かで凛々しい。おそらく当時の陶工は読み書きが出来なくても、凛々しい生き方をしていたに違いない。
私は骨董にも興味があって、特に李朝時代(朝鮮)に作られた壷や皿が好きだ。そこには張り詰めた緊張感と、人間的な温もりが併存している。だから佇まいが静かで凛々しい。おそらく当時の陶工は読み書きが出来なくても、凛々しい生き方をしていたに違いない。
古いクルマやバイクに乗っていると、人から「イイですね! でも大変でしょ?」と、よく言われる。大変でしょ? の意味は、壊れるから大変でしょ? ということだと思う。
この武骨なスタイル! 誰もが見ても「!」マークを付けたくなるほどだが、どこか愛着を感じてしまう。武骨でありながら何か訴えかけてくるものがある。それは英国車でありながら、ドイツ・バウハウスの機能的なデザインであるからだと思う。
我々がもっとも憧れたバイク、いや、世界中の若者を虜にしたバイクは、ターナー(第2世代トライアンフの設計者であり創業者の1人。現在のトライアンフは第3世代で、ブランド名のみを継承した組織である)が設計したトライアンフだった。
私は今までに100台を越えるバイクとクルマを乗り継いできた。若い時は貧乏だったため(今も相変わらずだが)、常にポンコツを買ってはエンジンを降ろし、全て自分で直していた。
グッドウッドで輝いているクルマ達を目の当たりにすると、色々なことを考えさせられる。ここのクルマには、時代やその国の文化、さらには作り手の心意気までを感じることができる。
グッドウッドのオープニングセレモニーがいよいよ始まった。巨大なテントの特設ステージには正装した紳士淑女。そして我々ドライバー達はレーシングスーツで出席した。
グッドウッドのオープニングセレモニーがいよいよ始まった。巨大なテントの特設ステージには正装した紳士淑女。そして我々ドライバー達はレーシングスーツで出席した。
テレビでお金持ちの豪邸を拝見すると、ガレージに高級車がずらりと並び、庭にはプールやテニスコートがあったりする。豪邸と言うと、ついついそういったビバリーヒルズの光景をイメージしてしまう。
2016年のLOC(レジェンド・オブ・クラシック)の開幕戦が、3月27日につくばサーキットで行われた。じつは昨年、BSAゴールドスターはクランクシャフトがボッキリ折れてしまったので、1年ぶりの復帰である。
イギリスの景観は穏やかで本当に素晴らしいが、もっと美しい街がある。それはドイツのワイマールだ。私が最も感激した街で、その昔、バッハやゲーテが住まわれ、かのワイマール憲法を成立した地でもある。
イギリスの「食」は相変わらずイマイチだが、英国の奥深さが好きで、何かと理由をつけては行っている。少し前にも王侯貴族のスパリゾートとして知られるロイヤル・タンブリッヂウェルズへ行ってきた。ロンドンから南東に2時間のところだ。
「英国」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 私の周りには趣味や道楽に嵌(はま)り込んだ輩(やから)多いが、その道楽を掘り下げていくと、なぜか英国製や英国発祥のものへとたどり着く。
クラシックバイクのレースは、完璧に準備したつもりでも必ず何らかのトラブルに見舞われる。それはそうだ。50年以上も前のバイクをカリカリにチューンして全開でぶっ飛ばすのだから、トラブルが起きてもおかしくない。
2015年12月6日、好天に恵まれた袖ヶ浦フォレスト・レースウエー(千葉県)で、恒例の『サイドウェイ・トロフィー』が行われた。
少し前のことだが、あるクルマの設計をイギリスの開発会社にお願いしたことがある。社内が手一杯だったため、日本でレイアウト図を作成し、これらを基に図面化する仕事だ。
前回、ヤマハの「パフォーマンスダンパー」をノートンのフェザーベットフレームに取り付けたところ、操安性が大幅に向上。さらにはエンジンの振動が減少し、ブレーキのコントロール性までも改善したという驚きのご報告をした。
ママチャリに乗ると、ちょっとした段差にもかかわらず、手がハンドルから抜け落ちてびっくりされた方は多いと思う。実はもう何年も前だが、ヤマハのテストコースでママチャリの試乗会があった。
喜び勇んで手に入れたデイトナ675Rもなかなか乗る機会がなかった。しかし初秋の気持ち良さを感じると、いてもたってもいられず、引っ張り出すことにした。場所は箱根の南斜面にある湯河原パークウェイだ。
もう何年も前になるが、最優秀バイクを選ぶ審査員を務めたことがある。いわゆる今年の『ベスト・オブ・バイク』を決めようという催しだ。会場の富士スピードウェイに行くと、その年に発表された全てのバイクが揃い、すでに審査員も集まっていた。なかには現役のレーシングライダーも何人かおられた。
戦後間もない頃、多くのバイクメーカーは町工場のようなところで生産していた。バイクと言っても自転車のようなフレームにちっぽけなエンジンを積んだものがほとんどで、パタパタパタと青い煙を吐きながら駆け回っていた。
トライアンフとマチレスの対決は、1907年の第1回マン島TTにまでさかのぼる。そこではマチレスに軍配が上がったが、トライアンフはその雪辱を晴らすべく、第2回では圧倒的な差を付けて優勝を果たした。
イギリスを訪れると、得も言えぬ心地良さを感じる。彼らは古いものを大切し、それが生活に潤いを与えているからだと思う。以前、ある家庭の夕食に招かれた。ご主人は40歳後半の会社員で、奥さんと子供の3人暮らし。部屋に案内されると、床も家具も無垢材で作られ、そこにアンティークの調度品が収まっている。
私自身、多くのトライアンフに乗ってきたが、なかでも1948年型、排気量500ccの『トロフィー』は、今でも忘れることの出来ない魅力的なバイクだった。その後に購入した650ボンネビルやトロフィーよりピックアップが良く、きめ細やかなフィールだった。