2-3 アメリカで大成功したトライアンフ
文/立花 啓毅 掲載日/2015年04月03日
エドワード・ターナーは、優秀な設計者であると同時に洞察力にも長けていた。終戦直後に彼が訪れたアメリカは、ヨーロッパや日本とは違い戦争の被害を全く受けず、活気に満ち溢れていた。
エドワード・ターナーは、優秀な設計者であると同時に洞察力にも長けていた。終戦直後に彼が訪れたアメリカは、ヨーロッパや日本とは違い戦争の被害を全く受けず、活気に満ち溢れていた。
トライアンフは映画への登場もあって世界から憧れの存在となった。しかしそのエンジンは1937年にエドワード・ターナーによって誕生したもので、今から80年近くも前のことだ。
少し前の映画だが、スティーブ・マックイーンの『大脱走』(1963)や、マーロン・ブランドの『暴れ者』(1953)をご存知の方は多いことと思う。これらのスクリーンに格好よく登場するのがトライアンフだ。
日本でも、英国とほぼ同時期の50年代にロッカーズの時代があった。完成間もない横浜バイパス(別名ワンマン道路。吉田首相が官邸に行かれるために作った道路)に英国製のモーターサイクルやメグロK-1の試作車が集まり、深夜に街道レースが行なわれていた。
ロッカーズは、『第1章 ROCKERS! 心を揺さぶるロッカーズ魂』で記したように、スピードに取りつかれた若者達で、闇夜に公道でレースを繰り広げる社会からのはみ出し者だった。
そういった彼らを対象に、チューニングショップは、最強のトライアンフ・エンジンを当時、最も優れていたノートンのフェザーベッド・フレームに搭載した。これがトライトンの始まりで、1954年のことである。
リーゼント・ヘアにはブリルクリームをべったり塗り、ピンバッジで埋まった黒い革ジャンに流行(はや)りのブルージーンズ。この出で立ちでキメ込んだのが“ロッカーズ”だ。