T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.12【最終回】
『バトル・オブ・ザ・ツイン』では一度も上位を走る事が出来ませんでしたが、その後、ミニバイクレースやモトクロス、ダートトラックなどで経験を積んだおかげで、ロードを走るテクニックも少しづつ上がってきたハズ。
『バトル・オブ・ザ・ツイン』では一度も上位を走る事が出来ませんでしたが、その後、ミニバイクレースやモトクロス、ダートトラックなどで経験を積んだおかげで、ロードを走るテクニックも少しづつ上がってきたハズ。
T140ボンネビルでようやくレースデビュー。その後も筑波サーキットで行われていた『バトル・オブ・ザ・ツイン』にエントリーし続け、途中、ホンダCS90やヤマハSRX250などでシングルクラス(サウンド・オブ・シングルなど)にも参加していましたが...
1983年1月15日に開催された第1回『バトル・オブ・ザ・ツイン』は、アメリカで行われていたツインバイクレースをお手本にしたクラスに加え、当時盛んだったシングルエンジン搭載車(ヤマハSRなど)のクラスをドッキングさせた、ツイン&シングルの祭典です。
レースを始めようとするきっかけや理由は人それぞれ、十人十色だと思います。人によってはバイクすら持っていない状況からレースを目指すこともあるでしょう。
子供の頃はバイクよりもクルマに興味津々、はやく18歳になって4輪の免許が取りたいな?と思っていたオザワ少年。お小遣いをもらえばミニカーとプラモデルを物色。
前回の北海道ツーリングの続き、今回はサロマ湖を後にして帰路までの後半戦にお付き合いお願いいたします。
突然ですが、皆さん花粉症はいかがですか? 今では当たり前となっているこの症状、ワタシがこの存在を知ったのは今から30数年前、ハタチの春でした。
マイトライアンフでの初レースは1984年1月15日開催の『第2回 バトル・オブ・ザ・ツイン』(以下バトル)に決定。「まぁこれから1年もあるんだから、そう焦る事は無い」と、まずは買ったばかりのバイクに慣れる事が先です。
ワタシがかつて難関中の難関だった自動2輪の限定解除に見事合格したのが1982年の事。とにかくすぐにナナハンに乗りたくて、取得当日に福生のバイク店でヤマハのGX750を購入したのですが…
16歳で原付バイクの免許を取得して始まったワタシのバイク人生。取るまではそれほどバイクに興味があったワケではなく、まわりの友人達が取りはじめたのでなんとなく自分も行っとこっかな?、という程度の気持ちで府中の運転免許試験場に向かったのが正直なところでした
トライアンフを購入した1982年当時は、今と違ってバイクに乗る人がすごく多くて、各地で行われていた大小様々なレースはどこも満員御礼状態。もちろんバイク人口の平均年齢も今よりは確実に低かったはず。
ワタシの家にトライアンフがやって来たのは1982年、年も押し迫った12月の事でした。その年にようやく2輪の大型免許を7回目のチャレンジで取得(当時は試験所での...