T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.06
- 掲載日/2015年03月13日
- 写真・文/小沢 和之(ライター)
突然ですが、皆さん花粉症はいかがですか? 今では当たり前となっているこの症状、ワタシがこの存在を知ったのは今から30数年前、ハタチの春でした。ある日突然目のかゆみとクシャミと鼻水がとめどもなく溢れて来て、当時は花粉症などという名が世間に知れ渡っていない時代だったので風邪だと思い込み、ただただ風邪薬で対処していました。
それ以来、春先からGWくらいまではバイクに乗るのも大変。ヘルメットを被った状態でのクシャミはマジで危険だし、ところかまわず流れ出る涙もライディングには大敵。花粉症のバイク乗りにしかこの大変さはわからないだろうけど、このコラムを書いている今も涙、鼻水と戦っています。同じ境遇のライダーさん、この時期はバイクに乗らないという選択肢もありますが、乗る時には注意散漫にならぬよう、くれぐれも気を付けて下さいね。
そんなハタチの頃から数年、トライアンフを手にしてそれまでのバイクライフとはまた違った楽しみを見出してきました。サーキットというまだ見ぬ魅力的なステージがワタシの心の中にどんどん広がって来たのですが、その前に、せっかく大型バイクを手に入れたのだから、“ここ”に行かなきゃ始まらない。そう、サーキットがライダー憧れの地なら、“夏の北海道”は聖地か桃源郷か?
はい、今回もまだレースの話じゃありません。バイクとは色々な付き合い方や楽しみ方があるじゃないですか。1台のバイクを手に入れればそこから新しい世界がグ?ンと広がって行くのです。やっぱバイクはホントに楽しいものです。
そんなわけで、トライアンフを購入した翌年(1983)の夏、初の北海道ツーリングを敢行。それまでのロングツーリングと言えば四国一周ツーリングですが、北海道となると規模が違う。ルートや宿泊予定地など事前チェックも入念に行い、初夏の北海道堪能旅がスタートしたのです。
東京から北海道へのルートは東北道でひたすら北を目指すか、当時はまだ東京湾から就航していたフェリーで苫小牧までの船旅が代表的なルート。その後、同乗機にバイクを積んで北海道まで一気に空の旅なんてのもありましたが、ワタシが選んだのは30数時間をフェリーで過ごす船旅でした。とは言えまったく優雅なんてことはなく、2等の雑魚寝スペースで、する事も無くただ退屈な時間をダラダラ過ごすものでした。しかし北海道まで自走で行く自信はまったくなかったので、フェリーの存在があってこその北海道ツーリング。船上の30数時間はけして無駄ではなかったのです。
長時間の船旅でカラダがなんだかユラユラとしたまま、初めて降り立った北海道は朝の6時を回ったばかり。7月8日に東京を出てすでに2日。いよいよ「でっかいどう北海道(こんなフレーズあったな?)ツーリング」のスタートです。
苫小牧港から反時計まわりで海沿いを一周する道内5日間のツーリング。まずは第一目的地の“襟裳岬”を目指します。初夏と言ってもまだまだ寒い北海道。初上陸当日は天気が悪くて気温も上がらず、でもテンションだけはアゲアゲで見るもの全てが新鮮で「うぉ?!」と雄叫びを上げながら走っていました。
苫小牧を出て信号の無い道に感激しながら、多くの競走馬を輩出している牧場が点在する日高を通過し、天気の回復がないまま到着した襟裳岬は霧で何も見えず、灯台から発せられる霧笛だけが空しく鳴り響いていました。なにも無い襟裳で森進一を思い起こしながら、次の目的地である1泊目の宿泊地、釧路を目指します。
いまどきユースに泊まるライダーがどれくらいいるかはわかりませんが、当時の北海道ツーリングと言えばユース泊が当たり前(カニの家ってのもあったな?)。多くのライダーが宿泊していたので情報交換など交流の場となっていたのです。その後もユースを転々として行くのですが、ユースごとに特徴があり、若いライダーの宿泊先としてはお薦めですね(いまはどんな感じになっているのかな??)。
ユースではライダー同士仲良くなり、次の目的地やルートが同じなら一緒に走りましょう、ということになるものです。道内2日目は同室だったCB250RS乗りと途中までマスツーリング。晴天で見事な姿を現した摩周湖や屈斜路湖を眺めつつサロマ湖を目指したのですが、美幌峠を下ったあたりで、なんとパンク。
修理道具など持たずに来たので対処のしようがない(汗)。携帯など無い時代、クルマもバイクも通らないし民家も無い。パンクして後輪がつぶれたバイクをひたすら押して、やっとの思いで辿り着いた家には人がいない(涙)。お隣さんは遥か彼方にぽつんと見える(さらに涙)。
ようやく辿りついた家から近くの街のバイク屋さんに電話をしてもらい、軽トラを呼びました。確かこの時は修理代だけで、ピックアップ分の料金を取られなかったと記憶しています(感謝)。なんだかんだでパンク修理が完了した時にはもう夕方。その日も宿泊予約を入れてあったので、サロマ湖のユースを目指してひたすら走る。夕暮れギリギリに到着してチェックイン。ここは人気のユースらしく、ライダーや一般のツーリストで大賑わいでした。翌朝は船でサロマ湖に出て朝食のおかずをゲット! チェックアウト後は10人くらいのライダーとでサロマ湖畔を走り、楽しく過ごせたのでした。ソロで行っても現地で友達ができるバイクツーリングの良さを実感させられました。
と、ここまでで北海道ツーリング前半のお話は終了。レースの話? まぁいいじゃないですか。長い長いトライアンフとのお付き合い。レースも含めて積もる話がたくさんあるのです。次回は1983年夏、北海道トライアンフツーリングの後編をお届けしま?す。
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