『ロードスターレンジ』は日本の国土に最適!?
みなさま、新年あけましておめでとうございます。2016年も、より良いトライアンフライフを楽しんでいきましょう! 今回は、私も所有する“ロードスターレンジの楽しみ方”というテーマで進行したいと思います。
みなさま、新年あけましておめでとうございます。2016年も、より良いトライアンフライフを楽しんでいきましょう! 今回は、私も所有する“ロードスターレンジの楽しみ方”というテーマで進行したいと思います。
「英国」と聞いて何を思い浮かべるだろうか? 私の周りには趣味や道楽に嵌(はま)り込んだ輩(やから)多いが、その道楽を掘り下げていくと、なぜか英国製や英国発祥のものへとたどり着く。
最後は、エンジン内部のパーツに関してです。本格的なチューニングパーツも、今では英国やアメリカで豊富に販売されています(どれを買ったらいいか、かなり迷ってしまうほど)。
ロカ岬の石碑には、こう書かれている。西の果て、大西洋を見たときはなんともいえない気持ちだった。今でも覚えている。言ってしまえばただの海だが、太平洋から大西洋まで走ってきたと思うと、特別な気持ちだった。
クラシックバイクのレースは、完璧に準備したつもりでも必ず何らかのトラブルに見舞われる。それはそうだ。50年以上も前のバイクをカリカリにチューンして全開でぶっ飛ばすのだから、トラブルが起きてもおかしくない。
2015年12月6日、好天に恵まれた袖ヶ浦フォレスト・レースウエー(千葉県)で、恒例の『サイドウェイ・トロフィー』が行われた。
VIRGIN TRIUMPH.comをお読みのみなさま、初めまして。トライアンフ広島 店長の永松と申します。前任者であるトライアンフ横浜北の佐々木店長から後任に指名され、コラムをバトンタッチさせていただくことになりました。
少し前のことだが、あるクルマの設計をイギリスの開発会社にお願いしたことがある。社内が手一杯だったため、日本でレイアウト図を作成し、これらを基に図面化する仕事だ。
2014年のユーラシア大陸横断バイク旅では、途中で各地のトライアンフディーラーを訪ねつつ、ユーラシア大陸最西端のロカ岬(ポルトガル)へ行き、その足でイギリスに向かった。トライアンフ乗りとしては、きっと誰しも行って見たい場所、それはイギリスにある本社だ。
前回、ヤマハの「パフォーマンスダンパー」をノートンのフェザーベットフレームに取り付けたところ、操安性が大幅に向上。さらにはエンジンの振動が減少し、ブレーキのコントロール性までも改善したという驚きのご報告をした。
ママチャリに乗ると、ちょっとした段差にもかかわらず、手がハンドルから抜け落ちてびっくりされた方は多いと思う。実はもう何年も前だが、ヤマハのテストコースでママチャリの試乗会があった。
バイクで海外を走ってみて思ったこと、それは「バイク乗りで良かった?」ということだ。バイクに乗っていたからこそ、出会いが広がった。バイク乗りに国境なんて無い、世界共通だ。
『バトル・オブ・ザ・ツイン』では一度も上位を走る事が出来ませんでしたが、その後、ミニバイクレースやモトクロス、ダートトラックなどで経験を積んだおかげで、ロードを走るテクニックも少しづつ上がってきたハズ。
喜び勇んで手に入れたデイトナ675Rもなかなか乗る機会がなかった。しかし初秋の気持ち良さを感じると、いてもたってもいられず、引っ張り出すことにした。場所は箱根の南斜面にある湯河原パークウェイだ。
旅の醍醐味と言えば、出会い、そして再会だ。旅での素敵な出会いは、かけがえのない財産になる。今回はロシア編を紹介しようと思う。
コラムの連載が始まってから、あっという間に1年が経ってしまった。毎回何を書こうか、読者の皆様に楽しんで頂けているのだろうか、と自問自答を繰り返し今日この日まで、どうにかなるさケセラセラと書き綴ってきた。
T140ボンネビルでようやくレースデビュー。その後も筑波サーキットで行われていた『バトル・オブ・ザ・ツイン』にエントリーし続け、途中、ホンダCS90やヤマハSRX250などでシングルクラス(サウンド・オブ・シングルなど)にも参加していましたが...
もう何年も前になるが、最優秀バイクを選ぶ審査員を務めたことがある。いわゆる今年の『ベスト・オブ・バイク』を決めようという催しだ。会場の富士スピードウェイに行くと、その年に発表された全てのバイクが揃い、すでに審査員も集まっていた。なかには現役のレーシングライダーも何人かおられた。
前回は、ノーマルのボンネビルを『カフェレーサー』へとカスタムする際に選ぶべきパーツの紹介でした。そこから少し進めて、今回は車体まわりのカスタムについてお話ししましょう。
今回の大陸横断で印象に残った絶景を紹介します。建築物は、どこの街、国でもそれぞれ歴史があって、それぞれ美しい。どこが一番美しいと聞かれても正直難しい。
2015年6月28日。再び大好きな富士スピードウェイに立つことが出来た。トランスポーターからバイクを降ろしてパドックに向かうと、4サイクルマシンの心地よい咆哮が響き渡り、オイルの焼けるほのかな甘い薫りが周囲に漂い始めている。
戦後間もない頃、多くのバイクメーカーは町工場のようなところで生産していた。バイクと言っても自転車のようなフレームにちっぽけなエンジンを積んだものがほとんどで、パタパタパタと青い煙を吐きながら駆け回っていた。
旅に出れば、すべてが予定通りとはいかない。予定通りにいかないからこそ旅なのだ。今回は、ロシアで遭ったトラブルについて紹介しようと思う。トラブルと言っても、自分が要因のもの、自分とそれ以外に要因があるもの、自分以外に要因があるもの、がある。今回のトラブルは、恥ずかしながらすべて自分が要因だった。
サーフィン専門誌の取材で、数人のプロサーファーに普段の練習方法やボディメンテナンスについてインタビューをする機会があった。プロサーファーである以上、常に勝ちを意識している彼等故、その練習方法も20分間の試合時間を想定した、合理的かつ課題をきっちりと見極めて取り組んでいる。