T140ボンネでスタートしたトラ最速レーサーへの道 vol.10
1983年1月15日に開催された第1回『バトル・オブ・ザ・ツイン』は、アメリカで行われていたツインバイクレースをお手本にしたクラスに加え、当時盛んだったシングルエンジン搭載車(ヤマハSRなど)のクラスをドッキングさせた、ツイン&シングルの祭典です。
1983年1月15日に開催された第1回『バトル・オブ・ザ・ツイン』は、アメリカで行われていたツインバイクレースをお手本にしたクラスに加え、当時盛んだったシングルエンジン搭載車(ヤマハSRなど)のクラスをドッキングさせた、ツイン&シングルの祭典です。
近年、英国の名高い当時のメーカーであったマチレス、アリエル、ブラフシューペリアなどの名前を使った新型バイクが次々に発表されています。しかし、どれをとってもゲテモノで、長くは続かないプロジェクトかなと思います。
トライアンフとマチレスの対決は、1907年の第1回マン島TTにまでさかのぼる。そこではマチレスに軍配が上がったが、トライアンフはその雪辱を晴らすべく、第2回では圧倒的な差を付けて優勝を果たした。
今回は、旅をしていて良い意味で衝撃的だった、ロシアのバイク乗りについて紹介したいと思う。旅に出て最初の国であるロシア。日本では政治的なニュースが多く、怖いイメージが多いと思う。
初夏の太陽光線が街路樹の葉を青々と眩いばかりに照り輝かせた5月30日、横浜の日本大通りにてtvk(テレビ神奈川)主催の『秋じゃないけど収穫祭』というイベントが開催された。会場となった日本大通りには様々なイベントブースが立ち並び、多くの来場者で詰めかけ大いに賑わっていた。
レースを始めようとするきっかけや理由は人それぞれ、十人十色だと思います。人によってはバイクすら持っていない状況からレースを目指すこともあるでしょう。
イギリスを訪れると、得も言えぬ心地良さを感じる。彼らは古いものを大切し、それが生活に潤いを与えているからだと思う。以前、ある家庭の夕食に招かれた。ご主人は40歳後半の会社員で、奥さんと子供の3人暮らし。部屋に案内されると、床も家具も無垢材で作られ、そこにアンティークの調度品が収まっている。
今回からは本格的なカスタム、特にボンネビル、スラクストン、サンダーバード系のカスタムについてお話ししましょう。僕が個人的にいちばん好きなカスタムは、1950年代から1970年代の通称『カフェレーサー』というスタイルです。
旅を進める中で一番大切にしていることは、その土地をリアル感じること。それは、人との会話からでしか感じることができない。人との出会いのきっかけは、旅の中で“迷い”からがほとんどだった。たいていは、自分から通りすがりの人に話しかけることから始まる。時には、迷っている僕を察知して、話しかけてきてくれる親切な人もいた。
バイク文化の先進国、欧米では当たり前となっている“ライフスタイルとしてのバイク”という概念が、ようやく技術的なバイク先進国日本にも伝播してきたようだ。
子供の頃はバイクよりもクルマに興味津々、はやく18歳になって4輪の免許が取りたいな?と思っていたオザワ少年。お小遣いをもらえばミニカーとプラモデルを物色。
私自身、多くのトライアンフに乗ってきたが、なかでも1948年型、排気量500ccの『トロフィー』は、今でも忘れることの出来ない魅力的なバイクだった。その後に購入した650ボンネビルやトロフィーよりピックアップが良く、きめ細やかなフィールだった。
2014年7月から11月末まで、自分のバイクで日本からロシアへ渡り、ヨーロッパ中を走ってきた。好きなバイクで好きな場所を走る。毎日が見たことのない世界。誰しも少しは、興味があると思う。
2014年に規定タイムを7秒とするMAX7を卒業、MAX4への初参戦を果たしたものの、2015年のシーズン開幕戦となるMAX4への参戦をずっと決められずにいた。
前回の北海道ツーリングの続き、今回はサロマ湖を後にして帰路までの後半戦にお付き合いお願いいたします。
エドワード・ターナーは、優秀な設計者であると同時に洞察力にも長けていた。終戦直後に彼が訪れたアメリカは、ヨーロッパや日本とは違い戦争の被害を全く受けず、活気に満ち溢れていた。
47歳にして、遅まきながらレースを始めてから早12年、干支もひと回りした事になる。とくに今年は50代最後のレースシーズンだけあって「大いに楽しまなくては」と思っている。
突然ですが、皆さん花粉症はいかがですか? 今では当たり前となっているこの症状、ワタシがこの存在を知ったのは今から30数年前、ハタチの春でした。
今回は、ラッカー仕上げでデカールの耐候性を上げていく作業です。まず、デカールの周りに付いている糊の残りを濡れ雑巾で軽く拭き取ります。その後、乾いたタオルで水気を完全に取りましょう。
トライアンフは映画への登場もあって世界から憧れの存在となった。しかしそのエンジンは1937年にエドワード・ターナーによって誕生したもので、今から80年近くも前のことだ。
人にサーフィンのルーツについて尋ねると、100%「ハワイイ(文中では、リスペクトを込めてハワイアンの発音表記とする)でしょ」という答えが返ってくる。
今までのペイント工程はいかがでしたか? 今回は、オートバイの顔とともにチャームポイントになっているタンクマークの貼り方についてお話ししましょう。
マイトライアンフでの初レースは1984年1月15日開催の『第2回 バトル・オブ・ザ・ツイン』(以下バトル)に決定。「まぁこれから1年もあるんだから、そう焦る事は無い」と、まずは買ったばかりのバイクに慣れる事が先です。
少し前の映画だが、スティーブ・マックイーンの『大脱走』(1963)や、マーロン・ブランドの『暴れ者』(1953)をご存知の方は多いことと思う。これらのスクリーンに格好よく登場するのがトライアンフだ。