1950-70年代 Vol.01
- 掲載日/2015年02月18日
- 協力/トライアンフ モーターサイクルズ ジャパン 文/植田 一礼
トロフィーモデルの登場と
アメリカ市場への進出
トロフィー(1949)
6年に及んだ第2次世界大戦が1945年に終結し、トライアンフも徐々に戦時体制から、通常の生産状態に戻っていった。戦後のトライアンフは『スピードツイン』、『タイガー100』など戦前モデルの生産を再開。加えて350ccの2気筒エンジンを搭載する、『3T』と『3Tデラックス』を1946年に発売した。この2台は、戦時中の軍用車『3HW』をベースとし、民間用にリファインしたモデルだった。
1946年には『TR5』も登場している。これは同年に行われた『ISDT』(インターナショナル・シックス・デイズ・トライアル)という歴史ある国別のトライアル大会で、『スピードツイン』で出場したイギリスチームが優勝したことで開発されたモデルだ。その時の優勝トロフィーにちなみ、TR5には“トロフィー”のニックネームが付けられた。
エドワード・ターナーは、大戦中からトライアンフをより良いモーターサイクルにし、事業を発展させていくにはどうするべきかを考えていた。そうして彼はひとつの結論に至る。それはアメリカ市場へ、これまで以上に進出することだった。その背景には、戦地から戻って来た多くの復員兵たちが仕事に就き、大きな購買層になっていたことと、当時のアメリカは世界最大のモーターサイクル市場であり、スポーツとしてモーターサイクルに乗ることも盛んな国であったことが挙げられる。
アメリカでは、戦前からインディアンやハーレーダビッドソンといった、1,000ccを超える大排気量のVツインエンジンを搭載するモーターサイクルが市場シェアの多くを占めていた。大排気量車がメインのアメリカで勝負するためには、ある程度大きい排気量であることが必須だった。
エドワード・ターナーと
ジョンソン・モーターズの絆
ターナーが生み出した傑作のひとつで、米国市場を強く意識した『6Tサンダーバード』が登場したのは1949年。2気筒排気量500ccだったスピードツインのエンジンを650ccに拡大。テレスコピックフォークとヘッドライトナセルの組み合わせが特徴的なモデルだった。軽量で敏捷な高速マシンであった『サンダーバード』は、米国市場で好調な売れ行きを示し、戦後のトライアンフにとって大きな一歩となった。
サンダーバード(1949)
そして同社のアメリカ進出に大きな役割を果たしたのが、カリフォルニア州のモーターサイクルショップ、『ジョンソン・モーターズ』だった。
ジョンソン・モーターズ
ビル・ジョンソン
代表のビル・ジョンソンは、アメリカ西海岸のモーターサイクルレースを積極的にサポートしていた人物で、エドワード・ターナーとは、彼がアリエルに勤めていた時から親交があった。ジョンソン・モーターズは多くのライダーをスポンサードし、エド・クレッツやバド・イーキンスなど、優秀なライダーを輩出している。俳優のスティーブ・マックイーンが同店でトライアンフを購入し、米国内の様々なオフロードレースやISDTに、米国代表チームのひとりとして出場している。ジョンソン・モーターズは、トライアンフを精力的に販売し、あらゆるレースで活躍。トライアンフのアメリカでの売り上げ増大に貢献していた。
BSAグループに売却されていた
トライアンフ
1951年、トライアンフのアメリカ支社が、東海岸のメリーランド州ボルチモアに設立され、この年からアメリカ市場進出が本格化する。そしてトライアンフの創業者である、ジークフリード・ベットマンが死去した。
トライアンフアメリカ支社開設時のエドワード・ターナー(写真右)
トライアンフは、同じく1951年にBSAグループに売却され、その傘下となっていた。この事実は伏せられ、経営も別個に行われたので、人々はしばらく気づかなかった。トライアンフの売却を主導したのは、1920年代、経営危機に陥っていたトライアンフを救った、ジョン・ヤング・サングスターである。1956年に、BSAグループの会長だったベルナルド・ドッカー卿が会長職から退くと、サングスターは会長に就任していたのである。
タイグレスTW2(1958)
トライアンフが、BSAグループ傘下になっていたことは、BSA製『サンビーム』というスクーターが発売されたことで明らかになった。1958年に登場したサンビームは、同年に発売されたトライアンフ製スクーター『タイグレス』にそっくりだった。それにより、トライアンフとBSAグループとの関係が公になったのだった。
トライアンフのエンジンで
世界最高速度記録へ挑戦
1955年に時速310kmの世界記録を樹立したストリームライナー
1950年代のトライアンフは、アメリカ進出に伴い、ユタ州ボンネビルの“ソルトフラッツ”で行われる、モーターサイクルの世界最高速度記録に挑戦していた。サンダーバードのエンジンを元に、速度記録達成のために製作したストリームライナーで、時速310kmの世界記録を1955年に樹立。わずか1年後にドイツのメーカーNSUが340km/hを記録し、トライアンフから世界一の座を奪う。
トライアンフも負けじと、同年にT110タイガーのエンジンを元に製作したストリームライナーで345km/hを達成する。しかしFIM(国際モーターサイクリズム連盟)の認定を受けられず、幻の最高速度記録になってしまった。その後、1960年代に入っても最高速度記録への挑戦は続き、そこで得られたデータと経験は製品開発へフィードバックされた。そうしてトライアンフ稀代の名車を、後に生み出すことになる。
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